男女における「責任」
男性、とくに役職についているような男性は、「責任はオレが取る」などという形で権限を示したがるものです。
それに対して、派遣 千葉などで働く女性はしばしば、他人に「責任を問う」存在です。
男からは、「女は、役職者になっても責任をとろうとしない」といった非難の声を聞くこともあります。
しかし、ここでも私たちは男女の本質的な性差の論議に走るのではなく、現在の男女差を生み出した歴史的な経過について、慎重に見ていきたいのです。
考えてみれば誰にもすぐわかることだと思いますが、男の「責任の取りかた」には、両極端ともいえる2つのタイプがあります。
一つは、俗にいう「腹を切る」タイプ。
『忠臣蔵』の四十七士のように本当に切腹するケースは少なくなりましたが、引責「自殺」と見られる事例はときに報道されましし、引責「辞職」はごくふつうのことです。
辞職の代わりに、髪を切って「坊主になる」例は、囲碁のプロ棋士などにも見られ、いさぎよい責任の取りかたとして、ファンも好意的でした。
もう一つは、これも俗な表現で「泥をかぶる」といわれているタイプです。
たとえば経営状況が思わしくないときなど、「人員整理の泥はオレがかぶって、再建の見通しが開けたら後継者にゆずる」といった態度が、それなりに立派な責任の取りかたとして評価されます。
古い例では、山本周五郎が小説『椎の木は残った』で描いた伊達藩家老の原田甲斐などがあり、この小説がとくにビジネスマンの間で好評だったのも当然と思われました。
最近のことでは、好例が見当りませんが、ロッキード事件の被告のうち全日空の若狭会長など、あるいはその心境に近いのかもしれません。